コーヒーと本があれば基本的に幸せ(出来ればiPhoneも)

より個人的なことを書くために、ボドゲブログから独立させたブログ。カフェと読書記録とアプリとその他つれづれなることを……

みえる壁とみえない壁と開いていないかもしれない瞳(『ワンダーウォール劇場版』の観想)

『ワンダーウォール』

2022年1月に観た映画は『ノマドランド』でしたが、2月に観た『ワンダーウォール劇場版』のはなし。短い時間だけど面白かった。下書きに感想をばーっと書いて、そのまま放置していた……しかし岡山さんはホント「便利」な役者さんですよねぇ。

 
 
 
 
 
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A post shared by 相沢ユウ (@yuk.sim_o)

観劇してまず思い至ったのは「言うことを聞かない大学生のわがままをなんぞ取り上げるべくもない」という「大人の正論」めいた批判があるだろうなと直感し、APVのコメント欄は事実その通りで、果てはただのエリート批判(舞台が京大と「推測できる」ため)がベスコメになっている有様だった。だいたいエリートたちが優秀で奉仕的であったところで、私たちの生活は豊かで幸福になるよりも、画一的で統率の取れたものになるだけだと思いますがどうでしょう。

Wonderwall

Wonderwall

  • オアシス
  • ロック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

本題から逸れましたが…ところでタイトルの『ワンダーウォール』といえば(私が)一番に連想するのはoasis の"Wonderwall”ですが、それを堂々とパクってる#Travis の"Writing To Reach You”の歌詞の中にもあるように「それで、ワンダーウォールってなんだっけ?」って言いたくなりますよね、まず。

Writing To Reach You

Writing To Reach You

現実にあった話をドラマ化したとおぼしきこの『ワンダーウォール』の「ワンダーウォール」は直接的には教務課に突如現れた、学生との間の仕切り壁といえるでしょう。「『壁の向こうの美人』に恋をしたのかと思った」といった志向で始まる物語もやはりOASISを引いているとは思うのですが、寮の現状存続を主導していた学生たちが、敵は壁の向こうの担当者ではなく、「壁の構造そのもの」であることに気づき、コミュニケーションすら取れない相手に途方に暮れるところで「物語」は終わります。

どうしようもない壁の前で途方に暮れるってとこで、やっぱり個人的には『天使は瞳を閉じて』(インターナショナルバージョン)を想起します。その最後のセリフは「おや、そこにいるね。さあ、握手をしよう」。舞台上の役者全員がまだ見ぬ誰かに届くよう手を伸ばすところで終わります。作者の鴻上さんなりの(悲哀のある)希望のみせかただと私は解釈しています。


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翻って『ワンダーウォール』のほうは物語の終わりの後で、講堂内で楽しげ演奏するブラスバンドと、ただの役者としてその輪に加わって飛び跳ねるシーンが挿入されてまして、これがおそらく彼らの今後の「戦い方」というか「あなたに届く(Playing to Reach you)」ような方法にしようとしているものと想像されます。そして冒頭の「恋の話かもしれない」とリンクしていくのでしょうが、その辺は観て確認していただければと思います。